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目次
ごきげんよう!
2024年のオリンピック、パラリンピックの舞台はパリでしたね。
ベル・エポックのパリが好きなソロトリライター、ヤマダイクコです。
フランス語で「la Belle Époque」は「美しき時代/よき時代」の意味。
19世紀末から20世紀初頭、資本主義の発達とともに華やかな大衆文化が花開いた時代を示します。
私のベル・エポックのパリのイメージは、印象派、アール・ヌーヴォー、パリ万博、エッフェル塔(1889年完成)、そしてムーラン・ルージュ!(1889年完成)
今回は、あこがれのムーラン・ルージュに行った2004年秋のパリ旅行(という名の修行)の話です。
嗚呼、あこがれのムーラン・ルージュ
フランス語で「Moulin Rouge」は「赤い風車」。
パリのモンマルトルの丘にある老舗キャバレーで、屋根の上の赤い風車がシンボルです。
かつてはボヘミアンの芸術家が集った場所。
ムーラン・ルージュに入り浸っていたという画家トゥールーズ=ロートレックの「ムーラン・ルージュの舞踏会」などの絵画やポスターからは、当時の雰囲気が伝わってきます。
ムーラン・ルージュを舞台にした映画には「ムーラン・ルージュ」(2001年)や「赤い風車」(1952年)などがありますが、私が好きなのは「フレンチ・カンカン」(1954年)!
名優ジャン・ギャバンやシャンソン歌手エディット・ピアフなどが、粋で人情味たっぷりのベル・エポックのパリの人々を演じます。
ギャバンが演じる興行師が、若い娘たちに足を高く跳ね上げるカンカンを踊らせて金儲けをしようと企みます。
踊り子たちにダンスを叩き込みつつキャバレー「ムーラン・ルージュ」を作っていくバックステージものを縦糸に、恋愛やら浮気やらの愛憎劇を横糸に、数々のトラブルや感情むき出しのキャットファイトを織り込みつつ、ラストは圧巻の群舞で「めでたし、めでたし!」とまとめるラブリーなフランス映画(フィクション)です。
監督・脚本はジャン・ルノワール。
印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男で、美しい映像からは父譲りの鋭い色彩感覚がうかがえます。
高校生の私は「いつか本場でフレンチ・カンカンを見たい!」と夢見たものです。
いざ、夢の世界へ!
20代になってパリの旅を計画中に、ムーラン・ルージュのショウ(ハーフボトルのシャンパン付き)を予約しました。
「女一人でトップレスを見に行くの?」とからかわれたこともありましたが、自分の気持ちに正直に、欲望に忠実に!
23時開演なので、安全のため会場から歩いてすぐの安宿を予約。
当日、混雑するロビーで緊張しつつ開場を待っていると、「いつまで待つんだろうねぇ?」「そうねぇ」という話し声が聞こえました。
日本語!
穏やかな雰囲気の夫婦だったので、思い切って話しかけてみました。
しばらくパリに関する情報交換をしていたら、「同じテーブルで観ませんか?」と誘われました。
渡りに船!
3人でテーブルに着くと、ボーイさんが華奢なグラスにシャンパンを注ぎます。
立ち昇るきめ細やかな泡、美しい金色のお酒、シャンパン大好き!
やがてショウの幕が上がりました。
照明に輝く極彩色の衣装、ゴージャスなアクセサリー。
ラメ、スパンコール、フリル、羽根飾りなど装飾のフルコース!
女性ダンサーはハイレグ、バックシームストッキング、ピンヒールの三点セットにオプションでトップレス。
よくわかっていらっしゃる!
男性ダンサーの見事な肉体美。
全てのダンサーが、アーティストかつアスリート!
美しい容姿やダンスは日々の努力や鍛錬の賜物に違いないが、人間はこんなに美しくなれるものなのか。
自分も同じホモ・サピエンスとは信じがたい、いや、むしろホモ・サピエンスの多様性を誇るべき?
生バンドによる演奏、ダンスの合間に曲芸や腹話術などもあって、エンターテインメントてんこ盛りのショウ。
美しい舞台を楽しみ、ハーフボトルのシャンパンを味わい(貧乏旅行なので追加注文はなし)、夢の世界にトリップした心地がしました。
いざ、現実の世界へ!
終演後、ゴキゲンな気分で外に出ると、ゴキゲンな酔っ払いたちが群れていました。
サッカーの試合があったのか(そしてホームチームが勝ったのか)、酒瓶を掲げたり、仲間と肩を組んだり、大声で歌ったり笑ったりしていました。
うら若きマドモアゼルだった私は、おじさんたちの合間を縫って早足でホテルに戻りました。
しかし、玄関のドアには鍵がかかっていました。
開けて!
早くホテルに入りたい、部屋に戻りたいと、泣きそうになりながら激しくドアを叩きました。
やがてドアがガチャッと開くと、ホテルマンがぬっと現れました。
「ドアを叩かないで!!」
※フランス語(推定)
激しい口調や手振りなどを勘案すると「ここにブザーを押せと書いてあるでしょう!?」「ドアを叩いたらうるさいでしょう!!」などと怒っているようです。
たしかに迷惑をかけたかもしれないけれど、そんなに怒鳴るほど悪かった?
涙目で彼をにらみ、逆ギレをぐっとこらえつつ、パリで習得したフランス語で答えました。
「Pardon.」
※すみません。
部屋に戻るとすぐにドアを施錠(まさかの貧相な丸棒ラッチ)、心から安堵しました。
おじさんたちと一緒に道で夜明かしせずに済んで、本当によかった。
※10月のパリの夜はなかなか寒い。
オ~レ~オレオレオレ~♪
ガシャーン!パリーン!
ワッハハハハハ……
オ~レ~オレオレオレ~♪
ガシャーン!パリーン!
ワッハハハハハ……(エンドレス)
午前1時半、ベッドに入り、外から響いてくる酔っ払いたちの歌と笑い声、何か(酒瓶?)が割れる音をBGMに、穏やかな気持ちで眠りにつきました。
どんだけ飲むの。
自己主張は大きな声ではっきりと!
翌朝、チェックアウトの時に電話代を請求されました。
電話がない部屋なのに?
※チェックインして部屋に入った時に、電話がなくてびっくりした。
わずか0.30ユーロ(約41円相当)の請求でしたが、無駄なお金はびた一文使いたくない。
「ここは強く主張せねば!」と決意し、英語ではっきりと「My room had NO telephone!!(電話のない部屋でした)」と言いました。
※NOを強調して発音。
疑いの目で見るホテルマン。
日本人の私、フランス人のホテルマン、互いに英語は片言。
(前夜、玄関のドアを激しくノックをしたので、問題のある客だと思われていたのかもしれません。)
ひるまず強い口調で「NO phone!!(電話はない)」と言うと、彼はしぶしぶ書類に目を落とし、パッと笑顔になりました。
「違う部屋の書類でした!ソーリー!」
イラっとしつつも、自分の力で0.30ユーロを守れたことに心から満足しました。
日本人は場の空気を読んで行動する傾向があり、フランス人は自己主張が強く、議論を好む傾向があると聞いたことがあります。
心を城に、言葉を飛び道具に例えると、城を守るために(城内に相手を踏み込ませないように)、まずは飛び道具で相手の様子をうかがうのかもしれません。
※個人の感想です。
当時パリに住んでいた友人に、買い物をする時の礼儀として、入店したら店員に「Bonjour!(こんにちは)」、支払い後に「Merci!(ありがとう)」の挨拶が必須だと教わりました。
とりあえず、郷に入りては郷に従ってみる。
慣れないフランス語の挨拶を繰り返しながら、あらゆる場面でコミュニケーションが重視される社会なのだと実感しました。
その後、気軽に海外一人旅ができるようになったのは、パリのおかげかもしれません。
それではごきげんよう、よい旅を!